神戸地方裁判所 昭和54年(行ウ)20号 判決 1984年7月19日
原告
旧姓籐原こと
大藤信子
右訴訟代理人
藤原精吾
深草徹
被告
補償基地方公務員災害金兵庫県支部長
坂井時忠
右訴訟代理人
松岡清人
早川忠孝
主文
一 被告が昭和五一年六月二四日付で原告に対してした地方公務員災害補償法による公務外認定処分を取消す。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
主文同旨
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 (原告の経歴)
原告は、昭和四三年三月大阪府立社会事業短期大学専攻科を卒業後、同年四月一日付で兵庫県職員として採用され、直ちに摂丹児童相談所に相談調査員として配置されて以来、同児童相談所のケースワーカーとして、児童相談業務に従事して現在に至つている。
2 (原告の発病)
(一) 原告は、同四三年四月から同四八年三月までの間、摂丹児童相談所の相談調査員として、同一姿勢を保持し、一定の筆圧を加えながらのボールペンによる児童記録の作成、極度の精神神経の集中と緊張を要する面接業務、記録の整理、複写業務、電話による照会、連絡、調整、打合わせ及び相談の受理、児童の移送、出張、巡回相談、訪問調査などの業務を行つた。
(二) 同児童相談所では、職員の絶対数が不足し、厚生省の基準に満たない部門もあつたばかりでなく、専任の受付相談員、措置担当書記、スーパーバイザー(ケースワーカーの援助指導にあたる専門職員)もおかれていなかつたため、原告の担当業務は多忙を極めた。
(三) そのため、原告は就業後数年も経ないころから、肩こり、背部痛、全身疲労、頭痛などをひんぽんに覚えていた。
(四) とりわけ同四七年度においては、原告は心身障害相談係に配置されたが、同係の事務処理を一人で担当したり、巡回相談や児童福祉法五六条一斉調査(以下「五六条一斉調査」という。)の業務を終始行い、面接やそれに伴う児童記録の作成、文書処理の業務が著しく増大したばかりでなく、特別の行事として、情緒障害児短期治療合宿・キャンプ、精薄者(児)実態調査、施設実態調査、在宅重症心身障害児訪問指導などの業務が重なり、さらにはこのような業務繁忙中に、原告を含めて五名の係職員のうちの二名が病気欠勤するという事態まで発生した。
(五) そのため、原告は同四八年に入ると疲労がさらにひどくなり、右肩、背部異常感、右上肢脱力感、運動障害などを覚えるに至り、同年三月二二日兵庫県立西宮病院(以下「西宮病院」という。)で頸肩腕症候群により休業加療を要するとの診断を受けた。
(六) その後原告は、同年四月五日にも兵庫県立淡路病院(以下「淡路病院」という。)で同一病名により休業加療を要するとの診断を受け、同年五月二五日からは財団法人淀川勤労者厚生協会西淀病院(以下「西淀病院」という。)に通院するようになつたが、同病院における原告の主治医黒岩純(以下「黒岩」という。)は、原告の右疾患を「主として右上肢の過度使用(業務)による神経、筋疲労に加うるに、精神神経疲労により発症した頸肩腕障害(Ⅲ度)である。」と診断している。
3 (被告の公務外認定処分)
そこで、原告は右頸肩腕障害(同四八年三月発病)は公務上の災害であるとして、同四九年五月一一日被告に対し地方公務員災害補償法四五条による認定請求をしたが、被告は原告の頸肩腕症候群は公務に起因するものとは認められないとして、同五一年六月二四日付で原告に対しこれを公務外の災害と認定する処分(以下「本件処分」という。)をした。
原告は本件処分を不服として、地方公務員災害補償基金兵庫県支部審査会に対し審査請求をしたが、同審査会は同五二年一二月二四日付でこれを棄却する旨の裁決をしたので、原告はさらに地方公務員災害補償基金審査会に対し再審査請求をしたところ、同審査会は同五四年三月二二日付でこれを棄却する旨の裁決をし、右裁決書謄本は同年五月一四日原告に送達された。
4 (原告の疾病の公務起因性)
しかしながら、原告の頸肩腕障害は、長期間にわたる業務の肉体的、精神的負担の過重により発症したものであり、これが公務に起因することは明らかである。
5 (結論)
よつて、本件処分は違法であるから、その取消を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1項は認める。
2(一) 同2項(一)のうち、原告がその主張の期間、摂丹児童相談所の相談調査員として、児童記録の作成、面接、記録の整理、児童の移送、出張、巡回相談、訪問調査などの業務を行つたことは認める。
(二) 同(二)は争う。
(三) 同(三)は知らない。
(四) 同(四)は争う。
(五) 同(五)のうち、原告がその主張の日に西宮病院で頸肩腕症候群との診断を受けたことは認めるが、その余は知らない。
(六) 同(六)のうち、原告がその主張の日に淡路病院で頸肩腕症候群との診断を受けたこと及び原告がその主張の日から西淀病院に通院するようになつたことは認めるが、黒岩医師の診断内容は争う。
3 同3項は認める。
4 同4項は争う。
三 被告の主張<以下、省略>
理由
一請求原因1項及び3項の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。
二原告の業務内容、業務量及び作業環境
そこで、まず原告の昭和四三年四月から同四八年三月までの間における業務内容、業務量及び作業環境について検討する。
<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。
1(一) 原告は右の期間、兵庫県摂丹児童相談所(なお、同五七年四月以降兵庫県西宮児童相談所と改称されている。)相談指導課に配属されて相談調査員として勤務し、この間同四六年八月にそれまでの主事補(事務員)から主事(事務吏員)に昇格するという身分的変動はあつたものの、一貫してほぼ同じような業務に従事した。
(二) 原告の基本的な業務は、児童の保護者等から児童に関する種々の問題について相談を受け、児童及びその家庭について必要な調査を行い、その調査及び心理判定員等による判定に基づいて助言指導を行うほか、児童福祉法に定める措置が行われる場合には、その権限を有する同児童相談所所長の補助者としてこれに関する具体的な事務処理等を行うこと(以下「通常の相談調査業務」という。)であつた。
右のような通常の相談調査業務は、相談指導課の主たる分掌事務で、同課では配属の児童福祉司及び相談調査員が同業務を分担処理する態勢をとつていたところ、同課には右の期間を通じ合計一四名の児童福祉司及び相談調査員が配属されていたが、うち一名の児童福祉司は同課課長で、直接には同業務に従事せず、また、うち二名も常時総務課に派遣され同業務に従事しなかつたため、結局一一名で同業務を分担していた(以下、同業務に従事していた児童福祉司及び相談調査員を「ケースワーカー」という。)。
分担の方法は、同四七年四月までは同児童相談所の管轄区域をいくつかの地区に分け、地区別に数人のケースワーカーで班を構成し、その班内部で各ケースワーカーの担当地区及び担当相談種別を定め、同年五月以降は相談種別ごとに数人のケースワーカーで係を構成し、その係内部で各ケースワーカーの担当地区及び担当事務を定めていた。
原告は、同四三年四月から同四五年八月までは伊丹市、川西市及び宝塚市地区の養護、精神薄弱、肢体不自由及び重症心身障害の各相談を、同年九月から同四六年三月までは西宮市地区の右各相談のほか、保健、視聴覚言語障害、性向、適正及びしつけの各相談を、同年四月から同四七年四月までは宝塚市及び多紀郡地区の右各相談のほか自閉症相談を、それぞれ主として担当し、同年五月以降は心身障害相談係(肢体不自由、視聴覚言語障害、重症心身障害、自閉症及び精神薄弱の各相談を担当する係)に配置され、地区としては伊丹市、川西市、宝塚市及び多紀郡地区を担当したほか、係内の事務的処理を担当した。
(三) 通常の相談調査業務について原告が行つた具体的な業務内容は、おおむね次のとおりであつた。
(1) 所内面接
まず、児童の保護者等の来所または電話による申出、関係機関からの文書や電話による通告等によつて相談が持ち込まれると、面接日時を予約したうえで児童やその保護者等と所内で面接する。
面接日時の予約に際し、保護者等にハガキや手紙を出したり、関係機関に呼出の依頼をすることもある。
また、面接前にその相談が新規のケースか再来のケースかを索引台帳によって確認し、再来のケースの場合は、索引台帳に記載されているケース番号に基づいてロッカー、書庫、ファイル室等から従前のカルテを探し出してその内容を一読し、新規のケースの場合は、カルテの用紙(表紙、児童記録票、経過記録票など)をセットしておく。さらに、関係機関から文書が送付されてきている場合にはこれを読んでおき、場合によつては面会又は電話により関係機関の職員から相談に関する事項を聴取しておくこともある。
右のような準備を経て面接を行うが、相手が障害児または乳児を伴つている場合は和室の面接室で畳に座つて行い、それ以外の場合には洋室の面接室で円卓に向い、椅子に座つて行う。
面接では、保護者等からその悩みや要望等を聞くとともに、助言指導ないし措置に必要な児童及び児童をとりまく環境等について聴取するが、面談を行いながら、カルテの児童記録票の一部(氏名、住所、主訴、家族構成、成育歴の欄など)に必要最小限度の記入をし、その他の面談内容についてメモをとるほか、保護者の態度や児童の発達状況の観察等を行いつつ、事案の内容をできるだけ正確に把握し、法的な措置を必要とするか否か、どのような助言指導を行うのが妥当かなど、その処理方法について検討する。面談にあたつては、相手の緊張を和らげるように努めるとともに、相手の人格と個別性を尊重し、信頼関係を保持するため種々の配慮をする。
面接時間は通常は一時間程度であるが、間に心理判定員による心理判定が行われる場合は一時間半ないし二時間を要する。
一日における通常の相談の所内面接件数は、最高で四件を行つたことがあつた。
(2) 面接後のカルテ整理
所内面接後、初回の相談の場合には索引台帳、受付台帳及びカルテにナンバリングによりケース番号を打ち、索引台帳に児童の氏名、生年月日を、受付台帳に児童の氏名、生年月日、受付年月日、担当者(原告)の氏名、相談の種別、相談内容などを記入するほか、カルテの児童記録票の補足、まとめを行い(児童の描写、家庭、両親像と養育態度、問題点の分析、指導方針の欄などに必要に応じて記入する。)、さらに関係機関との文書の交換がある場合にはこれについてカルテの経過記録票に記載したうえ、経過記録票に決裁判を押捺し、これとカルテの表紙の次にある決裁欄に担当印を押捺して、カルテの決裁を受ける。二回目以降の面接後にも、カルテに必要事項を記入して決裁を受ける。
右のような面接後のカルテ整理は、分析、判断等の思考を行いながら記入するため、初回の面接後の場合で四〇分ないし一時間、二回目以降の面接後の場合でも三〇分ないし四〇分を要する。
(3) 判定措置会議
ケースによつては一回の面接をした段階で助言指導をして終了することもあれば、二回以上の面接をして指導を行うこともあるが、法的な措置が必要と考えられるケースにについては、具体的な措置の決定のため、これを所長、副所長、相談指導課長のほか、一一名のケースワーカー全員と心理判定員等が出席して毎週一回午後の半日をかけて行われる判定措置会議に上程する。
この会議には自己の担当ケースが討議されない場合にも出席するが、担当ケースが討議される場合には、そのケースの児童の氏名、生年月日、住所、保護者名、相談種別、相談内容などを記載した資料を作成しておく。会議では担当ケースについて発表するほか、上程されたケースについてとるべき措置を討議する。
(4) 措置関係文書の作成及びカルテ整理
判定措置会議の結果、担当ケースについて児童福祉施設入所措置が行われることとなつた場合には、関係機関にその旨通知したり、保護者にその旨連絡して課税証明書等の必要書類を提出するよう指示し、また施設と連絡をとつて入所の承諾を得るほか、入所措置書、重症心身障害児施設入所措置協議書、負担能力(決定)調書(以下「負担能力調書」という。)などの措置を行うについて必要な文書を作成し、同時にカルテの児童記録票の措置欄に措置の内容等を記入して決裁を受ける(但し、原告が負担能力調書を作成する事務を行うようになつたのは同四四年以降である。)。
さらに、入所措置をしたケースについて、措置を停止する場合には措置停止書を、児童福祉法三一条、三七条、六三条の二による在園(所)期間の延長をする場合にはその旨の承認書を、措置を解除する場合には退所承認書をそれぞれ作成し、同時にカルテの経過記録票に(措置停止の場合はカルテの決裁欄にも)それぞれの事項を記入して決裁を受ける。
右の入所措置書、重症心身障害児施設入所措置協議書、負担能力調書、措置停止書、在園(所)期間延長承認書及び退所承認書は、いずれもカーボン紙による複写をしながら作成するため(入所措置書は多いときには五、六部、その他は二部ないし四部を作成する。但し、負担能力調書は同四六年以前は二部作成していたが、その後複写を要しなくなつた。)、ボールペンにより相当の筆圧をかけて記入する。
右の事務のうち措置停止事務は、春、夏及び冬の休みに各施設から集団で措置停止の申請がされることが多いため、四月、八月及び一二月に集中する。措置停止書は、個々の児童についてではなく、各施設ごとに児童の氏名、生年月日及び停止の期間を連記して作成するが、カルテ整理は、一人一人のカルテについて、経過記録票に「○年○月○日、法施行規則第二七条による措置停止の届出を○○(施設長)より受理、期間、○年○月○日〜○年○月○日、理由、夏休み家庭保育のため、○年○月○日あて同上承認書発行、摂児第○○号、期間、○年○月○日〜○年○月○日」というように記載するほか、決裁欄にも施設名、期間及び理由を記載して行う。
なお、原告は、同四七年五月以降は前記のとおり心身障害相談係に配置されて同係の事務的処理を担当したため、直接自己が担当したケース以外についても右のような措置関係文書の作成及びカルテ整理を行つた。
(5) 付随業務
(ア) 巡回相談
これは、管轄区域内の各地に出張して、保健所、学校、町役場等の施設を借りて児童の保護者等と面接して、相談を受けるものであるが、一日中(原則として午前一〇時から午後四時まで、但し、西宮市の場合は午後半日)面接を行い、最高で一日十五、六件の相談を受けるため、一件当りの面接時間は所内面接の場合より短い。面談を行いながらカルテの一部を記入することなど、面接中の業務内容は所内面接の場合と同じであるが、巡回相談の場合には面接時間内にケースの処理方針まで決定することが多い。また、帰所後、受付けたケースのすべてについてカルテ整理をして決裁を受ける点も所内面接後の場合と同じであるが、さらに受付けたケースについて児童の氏名、生年月日、相談種別、相談内容、処理内容及び処理日を簡単にまとめた巡回相談状況報告書を作成して決裁を受ける作業が加わる。
(イ) 訪問調査
これは、児童の保護者等と連絡がとれない場合や児童を所内に連れて来ることができない場合等に、家庭を訪問して面接を行うもの(出張)である。
訪問調査をしたケースについてもカルテを作成整理して決裁を受ける。
(ウ) 児童移送
これは、自己が担当したケースについて児童福祉施設(収容施設)入所措置が行われることとなつた場合に、児童を当該施設まで移送するもの(出張)であるが、保護者が同伴しないこともあり、小さな児童の場合には抱きかかえて行つたり、衣類その他の日用品や学用品などの荷物を持ち運んだりすることもある。
(エ) 三歳児の精密検診
これは、保健所で実施された三歳児検診の結果、異常が発見されて児童相談所に送られて来たケースについて、所内で精密検診を行うものであるが、呼出状を送付して保護者等と面接することなど、その処理方法は通常の相談についての所内面接の場合と同様である。ただ、この場合には一日中面接を行うので、最高で一日に九件の面接をしたことがあつた。
(四) 原告の基本的な業務の内容は以上のとおりであつたが、原告は、これに加えて次のような業務ないし雑務に従事した。
(1) 五六条一斉調査
これは、児童福祉施設入所措置がとられている児童の保護者から措置に伴う費用を徴収する前提としてその負担能力を調整する業務で、各ケースワーカーが自己の担当ケースについて右の措置がとられたときに個々に調査するものとは別に、毎年一回同児童相談所から措置されているすべてのケース(一〇〇〇件前後)について一斉に行われるものであるが、原告も毎年これを分担処理した(但し、この業務を同児童相談所で行うようになつたのは、同四五年以降である。)。
その具体的な業務内容は、まず施設台帳から措置されている児童の氏名、保護者名及び住所を拾い上げて五六条一斉調査名簿に転記(カーボン紙による二部複写)したうえ、これに基づいて保護者あてに調査依頼の文書を郵送し、次に保護者から送られて来た課税証明書等を点検し、不備がある場合には再度提出するように指示したり、さらに文書や電話で補充調査をしたり、保護者から減免申請等がある場合にはそのための面接をしたりした後、負担能力調書に税金の額、階層及び負担金の額と補充調査をした場合には調査の内容を記入(前記のとおり同四六年以前は二部複写)し、決裁を受けてこれを保護者あて郵送するというものであつた。
(2) 児童福祉施設措置児童実態調査
これは、同児童相談所から児童福祉施設入所措置がとられた児童について、施設に出張して児童の施設での生活状況や問題点等を調査する業務で(調査結果については児童福祉施設措置児童実態調査票を作成する。)、原告も毎年これを分担処理した。
(3) 在宅重症心身障害児訪問指導
これは訪問調査の一種であるが、同四七年ころには地域特別事業として福祉事務所との連携の下に行われ、原告も担当した。
その具体的業務内容は、心理判定員等とともに施設に入所していない重症心身障害児をその家庭に訪問して(出張)、その実態調査を行うとともに制度の活用等について助言指導を行い、その結果について在宅重症心身障害児調査票を作成するほか、通常の訪問調査の場合と同じようにカルテの作成及び整理をして決裁を受けるというものであつた。
(4) 日直
同児童相談所では、同四七年末まで女子職員が日曜日に日直勤務(午前九時から午後五時一五分まで)を行つており、原告も月一回くらいの割合でこれを担当した。
これは、本来は迷子や家出、児童の置去り、施設入所中の児童の無断外出等の緊急事態に備えて待機し、そのような事態が発生した場合に適宜の処理をする業務であつたが(なお、同四八年以降は、代行員がこれを行つている。)、原告は、その時間を利用してカルテ整理や面接業務を行うこともあつた。
(5) 受付
同児童相談所には、後記のとおり専任の受付相談員が配置されていなかつたため、ケースワーカーが順番に受付業務を担当し、原告も年間三〇日程度これを担当した。
(6) 情緒障害児短期治療学級
同四七年七月から一〇月までの間、同年度の情緒障害児短期治療学級が同児童相談所を中心に開設され、主として長期欠席相談を担当するケースワーカーがその業務を担当したが、原告も児童の日課指導や保護者との懇談会等に参加したほか、所外での活動に参加した(九月一四日にハイキングの付添をし、同月二七、二八日にユースホステルでの合宿に参加した。)。
(7) 全国精神薄弱者(児)実態調査
同四七年八月に全国精神薄弱者(児)の実態調査が行われ、同児童相談所では精神薄弱児のカルテから氏名、住所等を拾い上げて基礎調査票に転記し、これを福祉事務所に送付する作業を行つたが、原告も右の転記作業の一部を担当した。
(8) その他の業務及び雑務
原告は、以上のほか、研修への参加(出張)、統計、自己及び相談指導課長の旅費請求書の作成(カーボン紙による複写)、超過勤務命令簿への記載の業務を行い、また同四七年九月ころには廃棄カルテの整理業務に従事し、さらに雑務として、他の職員へのお茶くみや来客の応対、会議の接待、資料のコピー、文書の浄書、ガリ切、印刷、他の職員への電話の取次などを行つた。
(五) 原告の業務内容は、以上のとおり多岐にわたつていたが、これを作業という観点から分類すると、面接作業(但し、メモ程度の書字作業を伴うことが多い。)、書字作業及びその他の作業に大別できる。
そして、面接作業は、一般に相手が悩みや問題を抱えており、児童相談所に相談すること自体に不安や緊張を持つている場合も多く、また自分の言いたいことだけを一方的に話す者、口をつぐんでなかなか話そうとしない者など種々のタイプの人がいるので、相手の不安や緊張を和らげ、信頼関係を作るために気をつかうことが多いこと、対人関係における一般的な緊張に加え、事案を正確に把握するために相手の言葉に現れない部分まで探り、あるいは保護者の表情や児童の行動を細かく観察しなければならず、しかも把握した事実関係を分析し、適切な処理方法を検討し判断しなければならないため注意力、集中力を必要とすること等から、精神的に相当に疲れる作業であつた。特に巡回相談や三歳児の精密検診等の場合は、一日中面接作業を繰り返すため、その精神的疲労はかなりのものであつた。また、訪問調査の場合には、訪問先の入口で立つて話をしたり、上り口に座つて上半身をねじつた姿勢で話をしたり、在宅重症心身障害児の訪問指導では、児童が寝ている横でカルテ等をひざの上に乗せて記入作業をしたりすることが多く、これら不自然な姿勢のため肉体的にも疲れることがあつた。
書字作業においては、カルテや措置関係文書は、いずれも様式化されており、その他の文書作成や各種台帳への記帳等を含め、個々の書字数は多くはなく、また、この作業は所内勤務中に所内面接(これは日時を予約しているため、時間をずらしたりすることはできない。)の間に行い、しかも作業中にも来客や電話等によつて中断されることが多かつたため、長時間にわたつて書字作業のみを継続して行うことは少なかつたが、全体的には書字作業を行う業務が多く、またその際には押印作業が伴うことも多く、特に巡回相談や三歳児の精密検診を行つた後には面接後のカルテ整理が多くなり、前記夏休み等の措置停止事務が集中したときにはそのカルテ整理も集中し、その他新しい児童福祉施設ができたりしたときに入所措置が集中して多くなつたりすることがあり、これらの場合には、一定期間内の書字数が相当多くなるため、手指及び上肢への負担が大きかつた。また、書字作業の中でカーボン紙による複写をしながら行うものも多かつたが、特に四部以上の複写を行うときには相当の筆圧が要求されたため、手指に負担がかかつた。
その他の作業としては、児童移送の場合に前記のとおり小さな児童を抱きかかえたり、腰をややかがめて児童の手をひいたり、荷物を持つたりすることがあるほか、重症心身障害児の移送のときは必ず自動車を使用するものの、車内では児童が最も楽な姿勢をとれるようにしてこれに合わせた不自然な姿勢をとることが多く、また一般に施設入所に不安を持つている保護者や児童を気づかつたりするため、精神的にも肉体的にも相当疲労することがあつた。また、巡回相談の場合に氷上郡などへ行くときは往復に各三時間を要し、訪問調査の際も地図を頼りに訪問先の家庭を長時間探し歩くこともあり、これらの場合には肉体的疲労が大きかつた。さらに、前記のとおり、原告の業務には保護者等からの相談の申出や、保護者や関係機関との連絡等のために電話を使用することが多かつたが、相談業務の特殊性から通話時間が長時間に及ぶこともあり、そのような場合には左上肢等に負担がかかつた。
2(一) 兵庫県下には、神戸市を除く地域を管轄する四つの児童相談所(中央、摂丹、播磨及び但馬の各児童相談所)があつたが、その中で摂丹児童相談所は、その所在地である西宮市のほか、尼崎市、芦屋市、宝塚市、川西市、三田市、川辺郡(猪名川町)、氷上郡及び多紀郡を管轄地域としており、管轄地域内の人口及び児童数ともに最大で、相談受付件数も最も多く、四児童相談所が同四六年度における業務について公式に報告したところによると、各児童相談所の相談受付件数は、中央が二四五九件、播磨が一七五五件、但馬が八四一件であつたのに対し、摂丹は三五五八件であつた。
右の報告によると、相談業務を担当する人員は、中央が一一人、播磨が一〇人、但馬が四人、摂丹が一四人とされているので、これに基づいて担当者一人当りの相談受付件数を算出すると、中央で約二二三件、播磨で約一七五件、但馬で約二一〇件、摂丹で約二五四件となる。
(二) 厚生省児童局編の児童相談所執務必携(同三九年改訂、以下「必携」という。)は、児童相談所の職員構成について、A級ないしD級の各児童相談所の職員構成を示す表を掲げ、これに示される構成内容は、相談件数に対処するクリニックとしての行政機関としては必要最小限のものであるので、これにまさるようその実現について努力しなければならない旨述べている(これは法律上の職員配置基準を定めたものではないが、厚生省では児童相談所の運営について必携に準拠して行うよう指導を行つている。)。
摂丹児童相談所はB級の指定を受けていたところ、右の表によると、B級児童相談所においては、原告が担当していた業務に関係のある職員として、相談課長一名、受付相談員一名、相談員二名、(措置課)書記二名及び保健婦一名のほか、最低で人口一〇万人ないし一三万人に一名の割合による児童福祉司及び児童福祉司六名に一名の割合によるスーパーバイザーが配置されるべきこととされている。
必携によると、受付相談員は、児童相談所で受付けるべき相談であるか否かを決めること及び受付けるべきものと判断した相談について基本的事項を聴取し、相談受付票に記入し担当の児童福祉司に引継ぐことを主要な任務とする職員で、専任が望ましいが、不可能な場合には児童福祉司が当番制で受け持つこととされている。また、(措置課)書記は、児童及び家族に対する処置(措置を含む。)を実施するに必要な事務的事項を担当する職員であり、保健婦は、特に育児相談、三歳児の精密検診などに他の職員とともにあたる必要があるとされている。
ところが、摂丹児童相談所では同四三年四月から同四八年三月までの間、専任の受付相談員、(措置課)書記及び保健婦は全く配置されていなかつた。そのため、前記のとおり各ケースワーカーが順番に受付業務を担当し、(措置課)書記が行うべき措置関係文書の作成、統計などの業務や、保健婦も関与すべき三歳児の精密検診の業務も各ケースワーカーがこれを分担処理していた(なお、同四九年九月以降は保健婦が配置され、三歳児の精密検診や在宅重症心身障害児訪問指導の業務を担当している。)。
また、同児童相談所の管轄地域内の人口は、国勢調査によると、同四五年一〇月一日現在で一五二万五七三七人(なお、兵庫県統計課発表の兵庫県推計人口によると、同四八年三月三一日現在では一五八万〇一三一人)であつたから、必携の基準によれば、少なくとも同四五年の時点においては一二名ないし一六名の児童福祉司が配置されるべきであつたが、同児童相談所では、前記のとおり児童福祉司と相談調査員(必携にいう相談員に当たる)とを合わせて一四名しか配置されておらず、しかもうち一名は相談指導課長(必携にいう相談課長に当たる)で、また、うち二名も相談業務に従事していなかつたため、結局、児童福祉司及び相談(調査)員の合計数において、必携の基準より三名ないし七名少なかつた(なお、必携によると、児童福祉司と相談員の職務内容は異なるものであるが、同児童相談所においては、ケースワーカーである児童福祉司と相談調査員は、ほぼ同じ業務を行つていた。
さらに、必携の基準によれば、同児童相談所には少なくとも同四五年及び同四八年の時点において、二名のスーパーバイザーが配置されるべきであつたが、同四三年四月から同四八年三月までの間、これが配置されたことはなかつた(もつとも、全国的にみてもスーパーバイザーが配置されている児童相談所は非常に少ない。)。
必携によると、スーパーバイザーの最も重要な任務は、児童福祉司及び受付相談員の仕事の技術内容を指導することであり、さらに児童福祉司及び受付相談員に対して個別的にケースの進行を援助することにあるとされており、スーパーバイザー自身が相談業務を直接担当するものではないが、原告は、その負担した相談業務において、指導の困難なケースに当面した際、スーパーバイザーないしこれに代わるべき者から指導や援助を受けることができなかつたため、一人で悩んだり、責任の重さに負担を感じることがあつた。
(三) 原告が同四三年四月から同四八年三月までに行つた前記業務について、その全業務の量を正確に把握することは極めて困難であるが、原告が被告に対する公務災害認定請求に際し、その担当した主要な業務についてその業務量を受付台帳及び自己の手帳の記載に基づいて調査したところ、別紙の表(一)ないし表(五)記載のとおりであつた(但し、所内面接には、通常の相談に係るもののほか三歳児の精密検診に係るものを含んでいる。出張による面接は、巡回相談、訪問調査及び在宅重症心身障害児訪問指導により面接したものの合計である。文書処理とは、前記措置関係文書の作成件数で、五六条一斉調査のような特別な業務による文書作成件数を含んでいないが、措置停止書のように一枚の用紙に複数の児童について記載する場合でも児童一人について一件と数えている。カルテ整理とは、面接後のカルテ整理と措置及びその変更〔停止、延長及び解除〕に伴うカルテ整理の合計である。)。
これによると、原告の所内面接の月ごとの件数は、同四七年一二月の一件が最低で、同四六年六月の四七件が最高であるが、特に毎年何月ころに多いといつた傾向はなく、各年度の月当り平均件数は、同四三年度が約九件、同四四年度が約一五件、同四五年度が約一九件、同四六年度が約二二件、同四七年度が約一二件で、全期間の平均では、月約一五件となる。また、原告の勤務状況についての記録によれば、原告の同四五年度から同四七年度までの所内勤務日数は、それぞれ二〇七日、二一四日及び一六九日であるが、そのうち土曜日のため半日しか勤務しない日及び判定措置会議のため半日しか面接を行えない日がそれぞれ年間五〇日、また所内にいても受付を担当するため面接を行わない日が年間三〇日あるものとして、所内勤務日数から八〇日を控除した日数が所内面接を行える日とすると、一日当りの所内面接件数は、同四五年度で約1.8件、同四六年度で約2.0件、同四七年度で約1.6件となる。
また、右の調査によると、原告の所内面接件数と出張による面接件数の合計は、同四三年度で二一一件、同四四年度で二四五件、同四五年度で二八六件、同四六年度で三九八件、同四七年度で三五五件であるが、同児童相談所の業務状況についての資料によれば、各年度における同児童相談所全体の相談受付件数は、同四三年度で三〇一〇件、同四四年度で三三〇八件、同四五年度で四五二〇件、同四六年度で三五五八件、同四七年度で三五八七件であり、これをケースワーカーの数(一一人)で除した件数を単純にケースワーカー一人当りの担当件数とすると、同四三年度で約二七三件、同四四年度で約三〇〇件、同四五年度で約四一〇件、同四六年度で約三二三件、同四七年度で約三二六件となり、これと右の原告の面接件数とを比較すると、同四三年度から同四五年度までは右一人当り担当件数の方が多いが、同四六、四七年度は原告の面接件数の方が多い。
一方、右の調査によると、原告の文書処理及びカルテ整理の各件数においては、毎年四月、八月及び一二月を中心にその前後に件数が多くなる傾向がみられるが、これはそのころに前記措置停止事務が集中するためであると考えられる。また、全体として同四七年度における件数が他の年度のそれに比して飛躍的に多くなつているが(文書処理で約2.1倍ないし約4.0倍に、カルテ整理で約1.7倍ないし約2.5倍になつている。)、これは前記のとおり原告が同四七年五月以降、心身障害相談係内の事務的処理を担当し、直接自己が担当したケース以外のものについても措置関係文書の作成や措置及びその変更に伴うカルテ整理を行つたためであると考えられる。もつとも、同四七年八月の件数は、文書処理が一四七件、カルテ整理が一八八件で、いずれも全期間を通じての最高件数となつており、それは夏休みの措置停止事務の集中によるものであると考えられるが、原告の勤務状況についての記録によれば、原告は同四七年度において通算二二五時間(月平均で約一九時間)の時間外(超過)勤務を行つているのに、同年八月には全くの時間外勤務を行つておらず、このことからすると、右のような件数と仕事の忙しさの程度とは必ずしも対応するものではないといえる(なお、同月の所内面接件数は一五件であり、特に多くも少なくもない。)。
原告の右調査結果に基づいてその業務量を総合的にみると、同四五年九月以降所内面接件数が増加し、また面接、文書処理及びカルテ整理の合計件数が同年八月以降増加しており、とりわけ同四七年六月以降において増加が著しいが、そのように増大した中においても同年一〇月及び一一月にはその前後に比して若干減少しているということができる。
そして、実際にも、原告は同四七年六月ころまでは、ある程度仕事が忙しい時期があつても全体的にはなお余裕があり、業務外において、同四六年ころから兵庫県職員組合阪神支部青年婦人協議会の副議長をつとめ、同組合のビラを作成するためのガリ切りを行つたこともあつたが、同四七年五月ころから身体疲労の自覚症状が出始め、業務も繁忙の度を増してきたため、同年七月には右の副議長もやめ、以後は組合活動にも従事しなくなつた。
また、そのころ以降、面接後のカルテ整理についても、判定措置会議に上程するケースについては面接後一両日中に処理したものの、これ以外のケースについては、多忙のためなかなか処理し切れない状態となつた。
なお、原告が前記調査の後、再び同様の方法で同四七年度における原告の面接件数を調査したところ、四一〇件であつたが(但し、出張による面接と所内面接の内訳は不明である。)、これと前記調査結果(合計三五五件)との差異を生じた原因は不明である。
(四) 同児童相談所の各ケースワーカーの勤務状況についての記録によれば、原告は同四五、四六年度において、それぞれ年間二四五時間、一七一時間の時間外勤務を行つているが、これはいずれも全ケースワーカー中の最高であり、同四七年度においては、前記のとおり年間二二五時間で、これは全ケースワーカー中多い方から五番目である。
一方、原告の同四五年度から同四七年度までの年休等の休暇取得日数は、それぞれ年間24.5日、31.5日及び二九日であるが、各年度における全ケースワーカーの平均休暇取得日数は、それぞれ約二〇日、二八日及び二二日であり、原告の右休暇取得日数は、いずれも右の平均を上回つている。
(五) 前記のとおり、原告の業務には出張して行うものが多かつたが、原告の同四四年度から同四七年度までの出張日数は、それぞれ六六日、六四日、五〇日及び九五日である。
その内訳は、同四四年度が巡回相談一一日、訪問調査一〇日、児童移送二五日、研修等三日及びその他一七日、同四五年度が巡回相談一一日、訪問調査一〇日、児童移送一二日、研修等二二日及びその他九日、同四六年度が巡回相談一四日、訪問調査九日、児童移送九日、研修等二日及びその他一六日、同四七年度が巡回相談一九日、訪問調査一二日、児童移送九日、研修等三二日及びその他二三日である(右の訪問調査には在宅重症心身障害児の訪問指導を含む。)。
これらの出張は、研修の場合に特定の月に集中したことがあつたが、その余のものは、いずれも全期間を通じてほぼ平均的に行われている。
また、巡回相談、訪問調査及び児童移送のための出張で、いわゆる阪神間の市部(但し、神戸市は含め、大阪市及び三田市は除く。)以外の遠隔地への出張は、巡回相談で同四四年度一日、同四五年度三日(一泊二日にわたるものを含むので回数としては二回)、同四六年度七日(六回)、同四七年度四日(三回)、訪問調査で同四五、四六年度各一日(同四四年度はなし)、同四七年度二日(一回)、児童移送で同四四年度四日(三回)、同四五年度五日、同四六年度三日(同四七年度はなし)であつた。
同四五年度から同四七年度までの間における原告の出張日数を他のケースワーカーのそれと比較すると、同四五年度では少ない方から三番目、同四六年度では少ない方から二番目、同四七年度では多い方から三番目であつた。
(六) 原告の被告に対する公務災害認定請求の際、同児童相談所が各ケースワーカーの児童福祉施設入所措置(書作成)件数を調査したところ、原告のそれは同四五年度が四九件、同四六年度が一八件、同四七年度が五九件で、各年度の全ケースワーカーの平均件数は同四五年度が四四件、同四六年度が三七件、同四七年度が四四件であつた(但し、同五六年ころ同児童相談所相談調査課長が調査した結果では、原告の右件数は同四五年度二五件、同四六年度一一件、同四七年度四八件であつた。前者の数字は、施設台帳から原告の担当地区における入所措置件数を拾い上げたものであるのに対し、後者のそれは保存されている入所措置書から原告の担当印が押捺されているものを拾い上げたものであるから、後者の方が比較的正しいと考えられる。)。
その他、同四七年度の五六条一斉調査における原告の担当件数は八一件であり(全体で九五五件で、これを原告を含めて一一名で分担したが、その大部分は同年六月から八月までに処理された。)、同年度の児童福祉施設措置児童実態調査において原告が担当したのは、滋賀県の第二びわこ学園だけで(同年一一月六日及び七日に出張して現地調査をしたが、対象児童の数は多くとも五人であつた。)、また同年八月に行われた全国精神薄弱者(児)実態調査について原告が行つた前記基礎調査票への転記作業は、児童の数で総件数八五四件のうちの九〇件前後であつた(基礎調査票は、一枚の用紙に一五人の児童について記入できるようになつていた。)。なお、同年度の情緒障害児短期治療学級について原告が所外活動に従事したのは、前記のとおりハイキング付添と合宿の合計三日間だけであるが、前記の日課指導等に関与した回数等は不明である。
(七) 原告は、前記のとおり同四七年五月以降心身障害相談係に配置されたところ、同係の構成員は、浦河勝也(主査。但し、同人は同年八月ころ退職し、それ以後は同人に代わつて稲田敏夫が主査となつた。)、畠山典久及び原告の三名であつたが、そのうち主査は教育相談係を兼務していたため、同係のその余の構成員である山尾正治及び高橋香代子を含めた合計五名が机を並べて一緒に仕事をしていた。
ところが、山尾ケースワーカーは、乾性胸膜炎及び心臓弁膜症のため同年一一月四日から同四八年二月二六日まで欠勤し、さらに畠山ケースワーカーも不確定神経衰弱症のため同四七年一二月一三日から同四八年一月九日まで欠勤した。
そのため、原告は、右五名で一台の電話機を使用していたこともあつて、山尾ケースワーカーの欠勤中、同人あてに電話がかかつてきた場合、同人担当のケースのカルテを探し出したうえ応対する仕事を行わなければならず、また原告は心身障害相談係の事務的処理担当者ではあつたものの、時期的に集中する措置停止事務は同係内で適宜分担することになつていたのに、畠山ケースワーカーが欠勤したため、同四七年一二月に冬休みのため集中した一一七件の措置停止事務を一人で行うなど、右両名の欠勤により事務量が若干増加した(もつとも、原告は同年一一月三〇日から一二月二二日までの間、研修のため出張し、その間は所内における業務を一切行つていない。)。
3(一) 同児童相談所は、同四三年一〇月西宮市戸崎町から同市青木町の新庁舎に移転した。
同庁舎は鉄筋コンクリート造二階建で、冬の暖房にはストーブが使用されていたが、その数が不足していたため、原告は冬期にストーブもなく、冷え込みの厳しい面接室で、事務服のまま面接をしなければならないことが多かつた。
また、同庁舎に移転してから原告が使用していた事務机と椅子の高さの調整が悪く、机が高すぎ、椅子が低すぎたので、原告は肩をやや上げて、必要以上に肩や腕に力が入る姿勢で事務をとつていた。原告は、肩こり等の症状を強く自覚するようになつた同四七年ころに右の事実に気づき、椅子の高さを調整しようとしたが、調節ネジがさびついていて調節できなかつたため、以後椅子の上に座ぶとんを二枚重ねて座るようにした。
さらに、前記のとおり原告の業務には電話を使用することが多かつたところ、机を並べて仕事をしていた数人に一台しか電話機がなく、受話器が原告の座席からすると、左又は右斜め前方の目の高さに腕を真直ぐ伸ばさないととれない場所に置かれていたため、座つたまま通話するときは、上半身を左右にねじつた姿勢をとらなければならなかつた。また、立つた姿勢で通話する場合には、受話器を持つ左の手及び腕を完全に宙に浮かしておくため、通話が長時間に及ぶと、左上肢等に負担がかかつた。
(二) 原告の所外における業務についての作業環境としては、訪問調査や在宅重症心身障害児訪問指導の場合に前記のような不自然な姿勢で作業をしなければならないことがあつたほか、巡回相談の場合、多くの児童が待機している中で作業を行うため、疲れて泣き叫ぶ児童が出たり、走り回る児童もいるなど、騒々しく、業務に集中しにくい環境であることが多かつた。
なお、原告は、前記のとおり同四七年一一月三〇日から一二月二二日まで研修のため出張していたが、その研修先でたまたま暖房機が故障していたため、非常に冷えた部屋の中で研修を受けた。
以上の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
被告は、同四七年度における同児童相談所のケースワーカー一人当りの所内面接件数は年間二〇〇件前後である旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。もつとも、証人青木実の証言中には、前記認定の相談受付件数には面接を伴わないものが計上されているとして、同年当時の同児童相談所全体の年間面接件数(巡回相談等によるものを含む。)を担当者の数で割ると二〇〇件前後になる旨の供述部分があるが、同供述部分はあいまいで信用することができない。
三原告の発病及びその後の経過
原告が同四八年三月二二日西宮病院で、同年四月五日には淡路病院で、それぞれ頸肩腕症候群との診断を受けたこと及び原告が同年五月二五日から西淀病院に通院するようになつたことは当事者間に争いがなく、右事実に<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
1 原告は同二一年八月二八日生まれの女子で、同四〇年三月兵庫県立津名高校を卒業後、同年四月大阪府立社会事業短期大学社会事業科に進学し、さらに同四二年四月同大学専攻科に進み、翌四三年三月これを卒業するとともに同年四月一日付で兵庫県職員として採用されたが、この間出生直後に兎唇の手術を受けたほかは、大病に罹患したこともなく健康であり、特に頑健であつたわけではないものの、女子として人並の体力を有し、平均的な学校生活及び社会生活を送つていた。
2 原告は、同年四月以降摂丹児童相談所に勤務して前記認定のような業務に従事したが、当初は仕事及び職場に慣れないこともあつて、毎日相当の疲労を覚えたほか、その後児童移送で幼児を抱いて行つた後に背部の痛みや肩こりを感じ、あるいは訪問調査で歩きまわつたときに足が非常に疲れたことがあり、また、同四五年九月の業務担当替以降所内面接がそれまでの二倍近くに増加し、それに伴うカルテ整理の業務も増えたため残業が多くなるという状況がしばらく続き、そのころに頭痛や肩こりの症状が続いたり、同四六年六月に所内面接及び巡回相談等による面接がそれまでの二倍近くに増加したため残業が続き、そのころに右と同様の症状が続いたり、同年一〇月ころには全身のけだるさや腕の脱力感を覚えたりすることがあつたが、同四七年五月ころまでは、以上のような症状が出ても一晩眠ると翌日には仕事もでき、仕事の上でも日常生活の上でも格別に支障を生ずることなく、ほぼ平常に過ごすことができていた。
なお、原告は同四五年五月ころ、流感のため約一週間欠勤したことがあるが、これ以外には後記休業まで病気で欠勤したことはなかつた。
3 原告は、同四七年四月から五月にかけて一時的に業務が集中し、残業時間を増やしてこれを処理したところ、頭重感や肩こり、身体のだるさを覚え、歩くのにも不自由を感じるようになり、さらに微熱もあつたため、同月渡辺病院でレントゲン撮影等の検査を受けた結果、どこも異常はない旨診断され、ビタミン剤の投与を受けたにとどまつた。
右の肩こり等の症状は一時的なものであつたが、原告は同年六月ころにも疲れがたまり、肩こり等の症状が出たため、同月西宮病院内科を受診したが、やはり異常はない旨診断された。
その後原告は、全体として業務量が従来よりかなり増大して忙しい時期が続いたため、毎日の疲労が激しく、従前のように一晩眠つても前日の疲労が回復せず、慢性的な疲労感を覚えるに至り、右手のしびれや脱力感、肩こり、頭重感、全身的硬直感等の自覚症状が持続するようになつたが、右のように病院で異常がないと言われたこともあつて、身体の調子が悪くても我慢して仕事を続けていたところ、同年一〇月ころには右のような症状もやや緩和された。
4 しかし、その後同四八年に入ると、原告は疲労がひどくなり、同年二月ころから頭重感や肩こりが増し、首も回りにくくなり、背中も重い感じがして押えると痛く、右手に力が入らず、目にも充血感があり、全身にけん怠感を覚えるに至り、これまでになく重症であつたため、同年三月七日西宮病院整形外科を受診したところ、頸肩腕症候群との判断の下に投薬治療を受けることとなつたが、休業等の指示はなかつたため、その後も仕事を継続した。
原告の症状は、右投薬治療によつても改善されず、むしろ頭の重さ、右肩及び右背部の重さが日ごとにつのり、歩くのにも足を一歩一歩意識して動かさなければならない状態となり、仕事の上でも集中力、持続力がなくなり、書字作業や座つて人の話を聞く作業を耐え難く感じるようになり、同月下旬にはついに突然イライラとして仕事が手につかなくなつた。
この間原告は、同月一五日にも西宮病院整形外科を受診し、伊藤友正(以下「伊藤」という。)医師の診察を受けたが、同月二二日再び同医師の診察を受け、頸肩腕症候群により約二週間の休業加療を要する旨診断された。そこで原告は、同月二三日伊藤医師の診断書を提出し、翌二四日に事務の引継ぎをしたうえ、同月二六日から休業を開始した(同月二五日は日曜日)。
西宮病院整形外科における原告の診察結果によると、第五、六胸椎の棘突起に圧痛、叩打痛が認められ、レントゲン像には異常がなく、血沈は正常値で、リウマチ血清反応は陰性であつた。
5 原告は右休業開始後、自分で身の回りのことをすることもできない状態であつたため、郷里(淡路島)の親元に帰り、しばらく寝たきりの生活をした後、同年四月五日淡路病院で受診したところ、頸肩腕症候群と診断され、以後同病院に通院するようになつた。
そのころの原告の症状は、休業前よりむしろ重くなり、時々背中がえぐりとられるような痛みを覚えて三〇分間以上も身動きすることができず、腕の痛みで服を着ることもできなくなり頭はぼんやりし、目も充血して物の輪郭がはつきり見えず、食事の際に右手ではしを持つこともできないという状態であつた。
原告は、淡路病院では投薬と牽引治療を受けていたが、症状はそれほど改善されず、同年五月下旬ころ同病院の医師から、仕事をしながら他の病院で診てもらうよう勧められたため、同月二五日大阪市所在の西淀病院を受診したところ、黒岩医師により頸肩腕症候群のため約一か月間の休業加療を要する旨診断され、以後毎日淡路島から同病院に通院して治療を受けた。
6 黒岩医師による原告の初診時の所見によれば、レントゲン検査では、頸椎の正面像において、第七頸椎と第一胸椎の間に凸彎が、また頸椎全体に右旋を伴つていることがそれぞれ認められ、同中間位像において、生理的前彎曲線は滑らかで第二、三頸椎間に2.5ミリメートルのずれが認められるほか、椎間隙は均等で、同斜位像においては異常はなく、頸椎運動角度の検査では側屈に軽度の制限が認められ、筋力検査では背筋力が五三キログラム、握力が左右とも二〇キログラム(原告は右利き)であり、血清学的検査では、ORP及びRAはともにマイナスで、ASLOは四〇であり、手指の振せんの検査では、右側には著明で、左側はごく軽度のものが認められ、視触診では両側後頸部から肩部にかけて(主として僧帽筋、肩甲挙筋)の硬結、圧痛が認められ、特に右側に著明で、肩甲骨周囲筋(主として右側僧帽筋、棘下筋)及び右側背筋に硬結、圧痛が認められ、右前腕橈側筋に圧痛が認められた。
(以下、原告の同年二月ころ以降の右4ないし6の疾病を「本件疾病」という。)
7 原告は、西淀病院で極超短波治療や牽引、マッサージ、投薬鍼灸、体操等による治療を受けた結果、同年七月ころには肩、背部等の痛みやこりが若干軽減したので、同月二三日から職場に復帰した。
しかし、なお症状は継続し治療を受ける必要があつたので、原告は同日から同五〇年ころまでの間は、午前中西淀病院に通院して午後半日(一時から五時一五分まで)だけ勤務していたが、その後は午前九時から午後一時四五分ころまで勤務し、それから西淀病院に通院するという形態の半日勤務に変え、現在に至るまで原則としてこれを続けている。
原告の同五二年以降の全日勤務をした日数は、同年で三九日(うち土曜日三四日)、同五三年で四八日(うち土曜日三六日)同五四年で一一四日(うち土曜日三五日。要勤務日数は二九七日)、同五五年で一一一日(うち土曜日三八日。要勤務日数は二九七日)、同五六年で一〇一日(うち土曜日二四日。要勤務日数は二八四日)、同五七年で八三日(うち土曜日二一日。要勤務日数は二八四日)である。
一方、原告が右の職場復帰後に担当した業務の内容をみると、同四八年七月から同五〇年三月までは、触法、教護、長欠及び不就学相談係に配置され、係内の受付、統計、文書作成事務等を行い(面接業務は行わず、書字作業にはサインペンを使用し、カーボン紙による複写はしなかつた。)、同年四月以降は課付となり、児童記録票の管理及び整理(カルテ索引簿の整理作業)相談受付(相談受付処理簿の整理作業)、統計(社会福祉統計の報告書作成作業)等の業務を行つているが、これらの業務は原告が休業するまでに行つていた前記認定の業務内容と比較するとかなり楽なもので、右職場復帰後現在まで一〇年以上にわたつて、原告は勤務時間の点でも業務内容の点でも相当に軽減された業務に従事しているということができる(なお、原告は、右休業中の同四八年五月一日付で児童福祉司としての発令を受けた。)。
そして、原告は同四九年三月ころには、背筋力は七六キログラムに、握力は左が三五キログラム、右が三一キログラムにまで回復し、筋硬結は残存するが圧痛は軽快し、疼痛の範囲は変わらないが程度及び回数は減少するなど、全体的に症状が徐々に転快し、同五四年ころからはほぼ支障なく日常生活を送ることができるようになつたものの、その後も現在まで肩、背部の痛みやこり等の症状が続いており、現在なお西淀病院で鍼、ホットパック、体操、マッサージ等による治療を受けている。
8 なお、原告は同五五年五月二一日婚姻したが、それまでは右休業前を含め、尼崎市内に単身で居住し、自炊生活を送つていた。
四本件疾病の公務起因性
1 <証拠>を総合すると、次の事実を認めることができこの認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) わが国においては同三〇年前後ころから電子計算機の導入普及に伴い、キーパンチャーの中に手指の痛み、しびれ、ふるえの症状を訴える者が次第に多く現れるようになり、労働行政の分野や医学の分野において研究等が進められ、同三九年ころには労働省がその労働条件の基準やその種の作業(上肢作業)による業務上の疾病の認定基準を発表するに至つたが、その後右と同様の症状、あるいは首や肩、腕、背中、場合によつては腰等の広範囲にわたる部位の痛みやこり、しびれ等の症状を訴える労働者が特に若年女子を中心に増加し、その労働者も当初はタイピストやオペレーター等の事務機器作業従事者に多かつたが、その後一般の事務作業従事者やベルトコンベアー作業者、検査技師、保母など広範囲にわたる職種の労働者にまで広がつてきている(なお、家庭の主婦や学生にも同様の症状を訴える者はみられる。)。
そして、遅くとも同四七年ころまでには、右のような症状を呈した者について頸肩腕症候群という診断名がつけられることが多くなつたが、その疾病としての定義、症状の経過、診断基準、発症要因、病理機序等については、医学界において広く一致した見解は存在しなかつた。
(二) 日本産業衛生学会頸肩腕症候群委員会は同四八年三月、同四七年度労働省委託頸肩腕症候群に関する研究委員会報告書(以下「産衛学会報告」という。)を発表し、その中で、いわゆる頸肩腕症候群の病状を訴える者が正しく取扱われるためには、発生原因と病像に関する異なる見解を近づけること、予防、診断、治療に対する指針を作り全国的に同じような水準で取扱うこと等が必要であるとして、そのためには、頸肩腕症候群や腱鞘炎などという診断名を改めて「頸肩腕障害」とすべきであることを提案するとともに、その定義及び診断基準の提案を行うとして、次のように述べている。
1 定義
業務による障害を対象とする。すなわち、上肢を同一肢位に保持、又は反復使用する作業により神経・筋疲労を生ずる結果おこる機能的あるいは器質的障害である。
ただし、病像形成に精神的因子及び環境的因子の関与も無視し得ない。従つて本障害には従来の成書に見られる疾患(腱鞘炎、関節炎、斜角筋症候群など)も含まれるが、大半は従来の尺度では判断し難い性質のものであり、新たな観点に立つた診断基準が必要である。
2 病像の分類
以下のような経過をとり、病像が進展することが多い。ただし、急性に発症又は病状の増悪した症例については、経過を観察して、診断を確定する必要がある。
Ⅰ度 必ずしも頸肩腕に限定されない自覚症状が主で、顕著な他覚的所見が認められない。
Ⅱ度 筋硬結・筋圧痛などの所見が加わる。
Ⅲ度 Ⅱ度の症状に加え、下記の所見の幾つかが加わる。
(イ) 筋の腫張・熱感
(ロ) 筋硬結・筋圧痛などの増強又は範囲の拡大
(ハ) 神経テストの陽性
(ニ) 知覚異常
(ホ) 筋力低下
(ヘ) 背椎棘突起の叩打痛
(ト) 神経の圧痛
(チ) 末梢循環機能の低下
Ⅳ度 Ⅲ度の所見がほぼ揃い、手指の変色・腫張・極度の筋力低下なども出現する。
Ⅴ度 頸腕などの高度の運動制限および強度の集中困難・情緒不安定・思考判断力低下・睡眠障害などが加わる。
(三) 右の報告以後、産業衛生学の領域では、頸肩腕障害ないし職業性頸肩腕障害という概念が広く用いられるようになつているが、これはあくまでも産業衛生学的見地に立つた概念であつて、通常の疾病概念ではなく(右の定義によると、家政婦が右のような症状を呈した場合には頸肩腕障害と診断されることがありうるが、家庭の主婦がそれと全く同様の症状を呈し、かつ同じ医療措置が必要と認められても、頸肩腕障害と診断される余地はない。)、また少なくとも現時点においては疾病概念として完全なものではない(「疾病」としての明確な内容、例えば同一の原因と同一の症状経過、そして同じ治療に対応した同一の効果といつた内容が体系的に整理されているとは言い難い現状にある。)。
それはともかくとして、産業衛生学の領域においては、頸肩腕障害の発症要因については、右の定義からも明らかなように、作業の連続時間やスピードその他の作業態様ないし作業条件など上肢の動的筋労作(上肢の反復使用)又は静的筋労作(上肢の同一肢位保持)による神経、筋疲労に関する因子が最も重視されているが(病理機序としては、筋肉特に筋紡錘の疲労の結果、筋肉の痛みや固さ等の障害及び局所的な血流循環障害が、また神経疲労の結果、脳幹部疲労を介する自律神経疲労及び感覚器疲労により自律神経失調及び知覚障害が、それぞれ生ずるものと考えられており、したがつて、病像としてはこれらの障害を総合したものとされている。)、それだけではなく、その作業を行う際の照明、騒音、あるいは寒冷刺激等の環境的因子、さらには職場での人間関係による精神的ストレスや作業ノルマの押し付け、あるいはこれに対する感受性等の精神的、心理的因子等も関与するものとされており、これらのそれ自体多様複雑な因子がさらに複雑にからみあつて発症するものとされている。
(四) しかし、右の頸肩腕障害という概念は、整形外科の領域ではまだ広く受け入れられておらず、整形外科的には、現在一般に前記のような症状のうち、外傷や先天的奇形によるもの及び脊髄の腫瘍や関節リウマチその他の疾病によるものを除くものについて、広義の頸肩腕症候群という疾病概念を用い、そのうち腱鞘炎などの病態の明らかなものについてはその病名で診断し、その余の病態の明らかでないものを狭義の頸肩腕症候群とすることが多い(なお、産業衛生学の領域でも他の疾病との鑑別を行うことは言うまでもない。)。
そして、狭義の頸肩腕症候群については、発病者の個人的資質や素因の問題を含めて、現在まで多くの研究が行われ、種々の報告がされているが、その全体的病像や発症原因、病理機序等について定説がみられる段階には至つていない。
(五) 以上のとおり、いわゆる頸肩腕症候群については、種々の医学的見解が発表されており、その名称自体をどのように表現するかという点でも見解の相違がみられ、病理機序についても定説がないため、そもそも疾病としての判定すら困難である。
しかし、労働省においては、前記認定基準の発表以来、前記のようなその後の状況に対応して、今日に至るまで広く医学界に意見を求めてこれを参酌したうえで、右認定基準に改廃を加えこの種疾病に対する業務上疾病としての認定基準を発表してきており、特に同五〇年二月五日付労働省労働基準局長通達「キーパンチャー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」(同年基発第五九号、以下「五九号通達」という。)は、主として頸肩腕症候群に関するものであるが、右のような医学的状況をふまえ、これを集約して頸肩腕症候群を定義づけ、その業務上外の認定基準を定めている。
(六) 西淀病院における原告の主治医である黒岩医師は、前記認定のとおり同四八年五月二五日原告の本件疾病を頸肩腕症候群と診断したが、その後同四九年三月一九日産衛学会報告に準拠して、原告の業務内容や発病及び治療の経過を検討して本件疾病を、主として右上肢の過度使用(業務)による神経筋疲労に加うるに精神神経疲労により発症した頸肩腕障害であり、産衛学会報告の病像分類におけるⅢ度のものであると診断した。
同医師の右診断においては、同様の症状を呈する他の疾病との鑑別もされており、頸肩腕障害との診断も、前記産業衛生学的見地からは、右診断において言及されている原告の業務内容が頸肩腕障害と矛盾するものではなく、その他発病及び治療経過の点からもその診断に特に問題はみられない。
一方、西宮病院において原告を診察した伊藤医師は、同病院整形外科部長で、頸肩腕症候群についても相当の経験を有するところ、原告の本件疾病が整形外科的にいわゆる頸肩腕症候群と診断されるべきであること自体については問題がないとしている。
(七) 頸肩腕症候群(または頸肩腕障害)と診断された患者の中には、より軽度の作業に転換することにより速やかに完治する者もあるが、一般には、ある程度慢性的に症状を有していた者が特に症状を悪化してから受診する場合がほとんどで、そのときには既に相当重症に至つていることが多いこともあつて、治療を継続しても症状の軽快ないし完治までに相当長期間を要する例が多い。
2 <証拠>によると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
(一) 地方公務員災害補償法における公務災害の認定基準は、「公務上の災害の認定基準について」と題する地方公務員災害補償基金理事長(以下「理事長」という。)通達(同四八年一一月二六日地基補第五三九号。但し、同五三年一一月一日地基補第五八七号及び同五六年四月一日地基補第九八号により改正されている。)に示されている。
同通達には次のとおり述べられている。
1 (省略)
2 公務上の疾病の認定
(1) (省略)
(2) 次に掲げる職業病は、当該疾患に係るそれぞれの業務に伴う有害作用の程度が当該疾病を発症させる原因となるに足るものであり、かつ、当該疾病が医学経験則上当該原因によつて生ずる疾病に特有な症状を呈した場合は、特に反証のない限り公務上のものとする。
ア (省略)
イ 身体に過度の負担のかかる作業態様の業務に従事したため生じた次に掲げる疾病及びこれらに付随する疾病
((ア)うないし(ウ)は省略)
(エ) せん孔、タイプ、電話交換、電信等の業務その他上肢に過度の負担のかかる業務に従事したため生じた手指のけいれん、手指、前腕等のけん、けんしよう若しくはけん周囲の炎症又は頸肩腕症候群
(ウないしカは省略)
(3) (1)及び(2)に掲げるもののほか、公務に起因することが明らかな疾病は公務上のものとし、これに該当する疾病は次に掲げる疾病とする。
(アないしキは省略)
ク (2)のイに掲げるもののほか、身体に過度の負担のかかる作業態様の業務に従事したため生じたことの明らかな疾病及びこれに付随する疾病
(ケないしサは省略)
シ アからサまでに掲げるもののほか、公務と相当因果関係をもつて発生したことが明らかな疾病
(二) そして、右認定基準の2(2)イ(エ)の具体的取扱いについては、理事長通達「キーパンチャー等の上肢作業に基づく疾病の取扱いについて」(同四五年三月六日地基補第一二三号。但し、同四八年一一月二八日地基補第五四三号、同五〇年三月三一日地基補第一九一号及び同五三年一一月一日地基補第五八七号によつて改正されている。)及び同基金補償課長(以下、「補償課長」という。)の「『キーパンチャー等の上肢作業に基づく疾病の取扱いについて』の実施について」と題する通達(同五〇年三月三一日地基補第一九二号)に示されている。
右の理事長通達には次のとおり述べられている。
(1及び2は省略)
3 キーパンチャー等その他上肢(上腕、前腕、手、指のほか肩甲帯を含む。)の動的筋労作または静的筋労作を主とする業務に従事する職員で相当期間継続して当該業務に従事したものが、その業務量において同種の職員と比較して過重である場合またはその業務量に大きな波がある場合において、次の(1)及び(2)に該当する症状(いわゆる「頸肩腕症候群」)を呈し、医学上療養が必要であると認められるときは、公務以外の原因によるものでないと認められ、かつ、当該業務の継続により、その症状が持続しまたは増悪する傾向を示す場合に限り、認定基準の記の2の(2)に該当する疾病として取り扱う。
(1) 後頭部、頸部、肩甲帯、上腕、前腕、手または指について、相当強い「こり」、「しびれ」、「痛み」などの病訴があること。
(2) 筋硬結、圧痛または神経走行に一致した圧痛もしくは放散痛が証明され、その部位と病訴との間に相関関係が認められること。
また、右の補償課長通達は、右理事長通達を解説したものであるが、そのうち右に引用した部分についての解説として、次のとおり述べられている。
(1) 「いわゆる『頸肩腕症候群』」とは、種々の機序により後頭部、頸部、肩甲帯、上腕、前腕、手又は指に、「こり」、「しびれ」、「痛み」などの不快感をおぼえ、他覚的には、当該部位の諸筋に病的な硬結若しくは緊張又は圧痛を認め、ときには神経、血管系を介して頭部、頸部、背部、上肢に異常感、脱力、血行不全などの症状をも伴うことのある症状群に対して附された名称であること。
(2) 「上肢の動的筋労作」とは、カードせん孔機・会計機の操作、電話交換の業務、速記の業務のように、主として手又は指の繰り返し作業をいうものであること。なお、これらの業務のうちには、同時に静的筋労作に該当するものがあるが、この場合には、主として手又は指を繰り返し使用するという点からみて、これらの業務は、動的筋労作に属するものとしたものであること。
(3) 「上肢の静的筋労作」とは、ベルトコンベアーを使用して行う調整・検査作業のようにほぼ持続的に主として上肢を前方挙上位又は側方挙上位に保持して行う作業及び顕微鏡を使用する作業のように頸部を前屈位に保持するなど一定の頭位保持を必要とする作業をいい、手又は指を繰り返し使用しているか否かは問わないものであること。
((4)ないし(10)は省略)
(三) 以上の通達による職業病としての頸肩腕症候群に係る公務災害の認定基準は、労働者災害補償保険法による民間労働者の業務上の災害についての五九号通達による認定基準と同旨のものである。
3 以上を前提に、原告の本件疾病の公務起因性について判断する。
(一) 原告の本件疾病は、いわゆる頸肩腕症候群であることが明らかであるところ、これについては、理事長通達及び補償課長通達によつて公務上の災害の認定基準が定められており、この認定基準は、現在における同疾病に関する医学的状況や五九号通達の出された経緯及び同通達による認定基準と同旨であること等を考慮すると、現在においても適切妥当な認定基準であると解するのが相当であるから、この認定基準によつて、原告の本件疾病が公務災害と認められるか否かを検討する。
(二) 右認定基準2項(2)について
原告の業務は、これに例示されているせん孔、タイプ、電話交換、電信等には該当しないこと、原告の同四三年四月から同四八年三月までにおける業務内容は、全体として種々の作業が混合されたものであること、そのうち動的筋労作に該当すると考えられる書字作業についてみても、個々の文書等の書字数は多くないうえ、他の作業によつて中断されることが多く、長時間にわたつて書字作業のみを継続することが少ないこと、書字作業の中でも分析、判断等の思考を行いながら書くため所要時間の割には書字数が少ないもの(面接後のカルテ整理)も相当部分を占めていること、書字作業を頸部の前屈位保持を伴うという観点から静的筋労作と考えても、同様に長時間にわたり前屈位保持を継続することが少ないこと、書字作業のほかにも押印作業その他動的筋労作に該当する作業もあるが、これを毎日集中継続するものではないこと、また、原告の業務の中で主要な位置を占める面接作業の際やその他会議、研修等の際にある程度の時間ほぼ同一の姿勢を保持することがあるとしても、頸部の前屈位保持といつた特別の姿勢をとり続けなければならないものではないこと、巡回相談の場合等に一日中面接を行うことがあるが、その頻度は少ないうえ、面接作業中に必要最小限のカルテ記入やメモとりをする場合のほかは特別な姿勢をとらなければならないものではないこと、訪問調査や児童移送などの場合にときとして不自然な姿勢で作業を行うことがあるとしても、その頻度は非常に少ないこと、電話による業務の際にある程度の時間左上肢を宙に浮かした姿勢となることがあるが、その作業が一日のうちかなりの時間を占めるというようなものではないこと、児童移送の場合やその他の業務において、ある程度の重量の物を持ち運んだりすることがあるとしても、その頻度は非常に少ないこと、以上のことが明らかであり、これらを考え合わせると、原告の従事した業務は、上肢の動的筋労作または静的筋労作を主とする業務には該当しないものと認めるのが相当である。
したがつて、原告の本件疾病は、右条項にいう職業病としての公務災害と認めることはできない。
(三) 右認定基準2項(3)クについて
そこで、次に、原告の本件疾病を一般疾病として、その公務起因性を判断する。
以上のように原告の本件疾病が右認定基準による職業病としての公務災害とは認められないということは、原告のような職種における頸肩腕症候群の発症の程度が、現時点ではこれを職業病として前記認定基準の中に包摂する段階に至つていないということであり、このような場合には、これを一般疾病として、個別的にその公務との相当因果関係の有無を検討すべきものであり、右条項もその趣旨を定めたものと解するのが相当である。
そして、公務と疾病との間に相当因果関係があるというためには、公務が疾病の唯一の原因であることを要するものではなく、他に競合する原因があつても公務が相対的に有力な原因であれば足りると解すべきであるが、頸肩腕症候群のような疾病の場合には、結局、本人の業務内容(作業態様)、業務従事期間、業務量、作業環境、これらと症状の部位、程度との相関関係、症状の推移と業務量との相関関係、本人の生活状況、既応病歴、身体的状況、発病後の状況等を総合的に検討して、業務(公務)とこれ以外とのいずれが大きな原因となつているかを判断することにより相当因果関係の有無を決するのが相当である。
これを本件についてみると、原告の業務には上肢(特に指及び手)を使用する書字作業が比較的大きな位置を占めていたうえ、相当の筆圧を要するカーボン紙による複写をしながら行うものも多く、また特定の時期にある程度集中して書字作業を行うことがしばしばあつたこと、また書字作業と並んで大きな位置を占めていた面接作業は、神経を使うことが多いうえ、注意力、集中力を必要とし、相当な神経疲労を伴うものであつたこと、その他頻度としては様々であつたとしても、不自然な姿勢での作業や特に上肢に負担がかかることのある作業もあつたこと等から、全体として頸肩腕症候群を発症しても不自然ではない業務内容ということができ、症状の部位も、本件疾病発症以前の症状のそれを含めて業務内容(作業態様)との関連性がみられ、業務量としては、同四七年五月ころ以降に増大が著しいところ、これ以前には症状が出てもそれほど重症ではなく、かつ症状が続く期間も短かかつたが、同年六月ころ以降は以前より多少高度の症状がしかもほぼ数か月程度持続し、また業務量がそのように増大した中でも相対的に減少した同年一〇月ころには一時的に症状が緩和するなど、業務量と症状の程度及び両者の推移の間に相関関係がみられる。原告の業務量自体と摂丹児童相談所あるいは兵庫県下の他の児童相談所の同種職員のそれとの比較を正確に行うことはできないが、少なくとも同四六年以降の原告の業務量は平均的水準を超えていたものと考えられ、その他前記認定のような所内及び所外における作業環境が症状の発現に関与していることも考えられないではなく、業務従事期間の点でも業務による発症を疑わせるようなものではない。
また、原告には頸肩腕症候群の基礎となるような疾患又は特別な身体的異常は見当らず、組合活動に従事していた点を含め、業務を離れた生活において通常の労働者の一般的生活におけるよりも特に上肢その他身体に過度の負担のかかる生活を送つていたことを窺わせる資料はない。
発病後の状況としては、発病のため休業した約四か月の間に症状がやや改善はされたが、その後同四八年七月に職場復帰してからは、勤務時間の点でも作業内容の点でも相当に軽減された業務に従事し、かつ治療を継続したため症状が徐々に軽快し、同五四年ころからは日常生活もほぼ支障なく送れるようになつたものの、現在に至るまで完治していない。
以上を総合的に検討判断すると、原告の本件疾病の発症には、原告の体質的弱さその他の素因が関与していることを疑う余地がないではないが、業務に従事しなかつたとしても本件疾病に罹患したとまでは認めることができず、むしろ業務に従事しなければ発症しなかつた可能性の方が強く、それも業務に従事したことが発症の引き金になつたにすぎないというよりは、ほぼ五年間にわたる業務従事中に徐々に発症の基礎となるものが蓄積形成されていつたものと考えられ、その意味において、本件疾病の原因としては業務が相対的に有力な原因となつているものと認めるのが相当であり、したがつて、原告の本件疾病は公務に起因して発症したものというべきである。
前掲乙第二三号証には、伊藤医師の意見として、原告の本件疾病を職場環境の面から、特にその精神的緊張及び動的、静的筋労作の面に重点を置き検討したが、ケースワーカーとして平常に就業している限りその発症に業務起因性は認め難いものと考える旨記載されているが、これは、その前提として原告の業務内容について調査したことについて言及されている部分からも明らかなように、原告の本件疾病発症前の具体的な業務内容等を子細に検討したうえでのものではないので採用することはできず、他に右判断を左右するに足りる資料はない。
4 そうすると、被告が原告に対してした本件処分は、原告の本件疾病を公務に起因しないものと誤認した違法な処分というべきであるから、その取消を求める原告の請求は理由がある。
五以上の次第で、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(中川敏男 上原健嗣 小田幸生)
表 (一) (昭和四三年度)
出張に
よる面接
所内面接
文書処埋
カルテ整理
計
43年4月
0
3
8
11
22
5月
0
12
19
31
62
6月
6
5
7
18
36
7月
4
8
6
18
36
8月
27
3
37
67
134
9月
12
8
6
26
52
10月
7
5
7
19
38
11月
9
11
12
32
64
12月
14
19
8
41
82
44年1月
10
9
10
59
118
2月
5
7
19
31
62
3月
11
16
22
49
98
計
105
106
191
402
804
表 (二) (昭和四四年度)
出張に
よる面接
所内面接
文書処理
カルテ整理
計
44年4月
8
11
36
55
110
5月
4
14
22
40
80
6月
4
23
20
47
94
7月
6
18
15
39
78
8月
8
19
39
66
132
9月
10
15
27
52
104
10月
0
11
7
18
36
11月
3
7
11
21
42
12月
12
11
9
32
64
45年1月
0
8
47
55
110
2月
11
14
9
34
68
3月
3
25
16
44
88
計
69
176
258
503
1,006
表 (三) (昭和四五年度)
出張に
よる面接
所内面接
文書処理
カルテ整理
計
45年4月
8
18
47
73
146
5月
0
5
7
12
24
6月
0
2
2
4
8
7月
0
10
11
21
42
8月
4
26
116
146
292
9月
13
33
46
92
184
10月
4
32
16
52
104
11月
0
31
10
41
82
12月
14
16
16
46
92
46年1月
2
15
12
29
58
2月
3
28
10
41
82
3月
4
17
13
34
68
計
52
233
306
591
1,182
表 (四) (昭和四六年度)
出張に
よる面接
所内面接
文書処理
カルテ整理
計
46年4月
2
32
56
90
180
5月
5
32
5
42
84
6月
26
47
8
81
162
7月
10
32
20
62
124
8月
12
12
3
27
54
9月
20
13
7
40
80
10月
0
7
4
11
22
11月
17
17
7
41
82
12月
7
21
10
38
76
47年1月
12
14
4
30
60
2月
20
18
26
64
128
3月
4
18
13
35
70
計
135
263
163
561
1,122
表 (五) (昭和四七年度)
出張に
よる面接
所内面接
文書処理
カルテ整理
計
45年4月
10
35
26
71
142
5月
3
5
17
25
50
6月
46
21
28
95
190
7月
19
8
94
121
242
8月
26
15
147
188
376
9月
24
18
47
89
178
10月
8
12
44
64
128
11月
27
11
29
67
134
12月
0
1
117
118
236
46年1月
14
5
74
93
186
2月
8
12
14
34
68
3月
25
2
11
38
76
計
210
145
648
1,003
2,006